|
北海道で土方歳三が奮戦した戦い「二股口の戦い」
日本海の乙部(おとべ)に上陸した新政府軍を土方歳三が迎え撃った戦いです!
負ければ函館に進攻されてしまう!!!
歴史好きな人には、ぜひ見てもらい場所かも?(函館からかなり遠いけどね。)
個人的には、箱館戦争後に作られた数多くの碑を見るより、彼が実際に戦った場所を見て欲しいと思うぞ。
二つの川が合流して一本の川になる「大野町 下二股口」 
土方歳三もちょうどこんなアングルで敵を見たと思います。
また、土方歳三が戦った日と同じ日に写したので似たような風景だったと思います。
この場に立つとわかりますが、正面から来る敵は、崖を下り、川を渡り、また、崖を登ることになるので、無謀な命知らず以外は、正面からはこないと思う。
実際に、文献の絵図なんかを見ると左の山側で兵が戦った様子が描かれています。

雪が融けると同時に新政府軍がやってきた。新政府軍は、江差から近い日本海の乙部村に上陸。兵約2,000名。江差街道を進み函館を目指す。
乙部村 守備兵約30名は、圧倒的な兵力差によって殲滅され、江差の守備隊約250名も、艦砲射撃により殲滅される。
土方歳三 出陣
土方歳三は、兵約300名を率いて「二股口」へ
大鳥圭介は、兵約500名を率いて「木古内」へ
江差街道
乙部から函館に行く最短距離は、江差街道になる。江差街道を走るとよくわかるが、川が街道沿いに流れ急ではないが常に山がせまっている一本の街道である。
尚、江差街道には、館城、松前藩番小屋、新政府軍の本陣の跡、台場、無名戦死者の墓など多数の史跡がある。
ただ、見る価値があるかは、あなたの専門性による程度史跡ではある。
二股口
実際に二股に行って見ると陣を構えるに非常にいい場所です。
まずは縦に江差街道の一本道。江差街道に沿い左手は川。その対岸は急勾配の山。前面も川でほとんど崖状態。
川と崖が天然の防衛線を築いています。
この地形を見たときある有名な戦を思い出しました。
三国志の魏の曹操が馬超と戦い、長安を攻略する「謂水の戦い」にそっくりな地形です。
左手の進軍しずらい川沿いの山を行くか、進軍し易いが目の前に川があるルートを行くか。
戦闘 1869年 4月13日〜4月29日
「麦叢録」によれば13日の戦闘は、16時間におよび土方歳三の函館軍だけで3万5千発の銃弾を撃ったとされている。
兵300人、16時間、3万5千発、単純に計算すると一人150発、一時間に約15発。
そして、土方歳三率いる函館軍は、新政府軍にほぼ全滅に近い打撃を与えた。
その後、十数日間にわたり攻められますが、すべてこれを撃退します。しかし、津軽海峡沿いの大鳥圭介の守る木古内が落ち、且つ二股-函館間の通路にあたる矢不来の陣地が落ちたため、敵に背後を衝かれたり、孤立する恐れがでたため撤退を余儀なくされました。
また、ここは下二股口と言われるところですが、前方、3KMのところに上二股口と言って少し規模が小さいですが似た地形があります。
たぶん、最初はそこに軽めの陣を張って適当に新政府軍を蹴散らして、ここまで撤退して本格的に防御したと思われます。
6月15日公開予定の「蝦夷共和国宣言」の1ページを公開しました。
内容的には、こんな感じのサイトになります。
|